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2008年02月05日

三たび ガイアシンフォニー

ガイアシンフォニー第3番は「故 星野道夫氏に捧ぐ」とされています。第3番の重要な出演予定者であった星野道夫氏は、1996年8月 ロシアのカムチャッカでテレビ番組の撮影中、熊に襲われて死亡します。

 

 映画の冒頭で生前の星野氏は語っています。「こんな言い方をすると誤解されるかも知れないけれど、時折新聞で人が熊に殺られた、という記事をみたりすると、ある意味ホッとする部分もあるんです。まだ熊に人間が殺される自然が残っているという事なんです。」

 

 それを見た瞬間、私は「ああ星野さんはみずから熊に殺されたのではないか」と直感しました。彼に自殺願望があったとかそういう意味ではなく。そしてその状況を「スタッフやガイドが叫び声を聴いて外に出たとき、すでに巨大な灰色熊が星野を抱いて森の闇に連れ去ろうとしており、どうすることもできなかった」と、龍村仁監督著の魂の旅には書かれています。この本は映画の完成から何年も後に出版されており、今更映画の宣伝にも影響されないでしょうが、世に出さずにはおられなかった監督の「思い」が伝わってきます。

 

 

「ぼくたちの中に眠っている1万年前の記憶が甦ってくるような映画にしたいね」

「21世紀にふさわしいぼくたちの時代の神話を命がけで築かなければならないと思ってるんだ。」と、

 つい二週間前話した、星野道夫というかけがえのない人を突然失った混乱の中で監督は、撮影を予定通り進めなくてはならなくなります。

「見えない星野道夫を撮る」「聞こえない星野道夫の声を聞く」

星野さんと関わった人々の中で織り成される「偶然という必然」のなかで人と人、事象と事象、心と心とが繋がっていきます。あたかも星野さんの魂が導いてくれるかのように、その度に監督は星野さんの「存在」を感じます。

 アラスカに住むクリンギットインディアンの神話の語り部ボブ・サム「魂を語ることを怖るるなかれ」の言葉に監督は何度も勇気づけられています。そして、彼の「ある意味で彼は、自らこの道を選んだのだ」という言葉に私も同じ思いを抱きました。

 

 撮影を押し進めるうちに起こる「神業」としか思えない「偶然の一致」について監督はこう書いています。「神業」は神から直接人に与えられるのではなく、それぞれの場で「人業」を尽くしているさまざまな人々の「意識せぬ繋がり」によって当然起こるのではないだろうか。ただ重要なのは、人々の「動機」なのだ。「動機」の中に物欲・自己顕示欲などの利己的な心が働いていると、どこかで繋がりが途切れ、「神業」は消えてしまう。善き「動機」から、世界中の人々が人知れず行っている小さな決断や選択、それが何かのきっかけで「偶然」に繋がった時「神業」と見える事が起こるのだ。

 

 

 

 

 私の周りでも最近は毎日のように「偶然という名の必然」が起こります。それはお客様からのフトした会話であったり、友人や書物からの情報であったりします。

 最初は戸惑いましたが、その「偶然」がいつも良い方向に私を導いてくれるので感謝し、逆らわず受け入れています。

 

 

 

 そして、ガイアシンフォニーに関しても私にもささやかな偶然が・・今、ガイアシンフォニーに出合っている事自体が偶然(必然)ですが、

魂の旅の本編を開けた途端、1行目にこう書かれていたのです。

「1998年10月17日深夜 奈良県吉野郡の山深くにある天河大弁財天神社。」と、私は驚いて息を呑みました。天河神社の事は去年末から急に色々な人から話しがもたらされ、私も一度行ってみたいとは思いながら、未だに参拝できていないとても気になる場所でした。

 第3番の映画にも直接関係のないはずの天河神社がなぜ?そしてこう続いています。「今なぜ、南東アラスカの先住民のクリンギット族のボブ・サムがここにいるのか、それが不思議でならなかった。」星野さんが亡くなって2年後にボブ・サムはこの地に立っているのです。

 星野さんとボブ・サムを結びつけたのは、「ワタリガラスの神話」を持つ民族という事でしたが、この地こそ、神武天皇と「八咫烏伝説」の舞台となった土地だそうです。翌日ボブと訪れた熊野神社は八咫烏をご神体とする神社だそうです。後で分かった事ですが、龍村監督にとっても天河神社というのは、「地球交響曲」の制作という最初の船出のうえで、とても大きな意味がある場所だったそうです。私にとっても「天河神社」は行くべき「場所」のようです。

 

 もうひとつの偶然は、映画を見て星野さんの写真集や本も読みたいなぁと思って、大丸京都店を歩いていた時、「星野道夫展」の文字と2頭の白クマの写真が私の目に飛び込んできました。大丸神戸店2月6日~18日まで開催されるというチラシでした。場所は神戸ですが、そこも行くべき「場所」のようです。

 

 

2008年02月04日

ガイアシンフォニー再び

 

 

 

 以前私に、地球交響曲・ガイアシンフォニー第6番の上映会の存在を知らせてくれたお客様のNさんが今度は第2番と第3番のDVDと、本を2冊貸して下さいました。1冊は第2番の出演者でもある佐藤初女さんの「おむすびの祈り」 2冊目は龍村仁監督の「魂の旅 地球交響曲第3番」です。

 

  Nさんは九州出身の方ですが、とても文化・芸術に関心が深い方です。能や狂言もお好きで、お恥ずかしい事に京都に住んでいながら、私はよく知らなかったので、最近は情報をお聞きしては観に行ったりしています。京都はどこかで何かしらの芸術的なイベントがあったりするのですが、文化的に恵まれている土地に住んでいながら、何も知らない事はもったいないですよね。狂言の茂山家にファンクラブがある事も初めて知りました。

 

  さて、第2番の佐藤初女さんですが、岩木山麓に「森のイスキア」を主宰されています。佐藤さんは、長年自宅を開放して傷付いた心の方を癒す活動をされていますが、「森のイスキア」は佐藤さんを母のように慕う人々によって完成されました。食べ物によって人の心と身体を癒されています。「梅干しにも、大根にも、ふきのとうにもみなそれぞれの心と命が宿っており、初女さんは、その心といのちの声を聞き、その声の教えにしたがって料理する。だから、初女さんが作ってくださる食事には「魂」が宿っていて、どんな食材を使っても、いつたべてもおいしく、食べたとたんに、いのちが喜び元気になる。食は「魂」の移しかえというのが初女さんの哲学なのだ。」と龍村監督は魂の旅のなかで書いています。    ふきのとうを訪問者の為に、丁寧に丁寧にそっと切り取るシーンは感動的ですらあります。今、まさに人間の為に命を捧げようとしている植物に対する畏敬の念があふれています。物や食べ物があふれ、お金さえだせば何でも食べられる時代に、深い信仰に裏打ちされた佐藤さんの心の込もったお料理で、多くの人の傷付いた魂が癒されていきます。  

 

「ある時、神父様から「あなたにとって祈りとはなんですか」と訊ねられ、とっさに「私の場合は生活です」と答えました。私は傍から見ていると、めったに座って祈らないといわれています。でも、今ここに本当に食べられないでいる人、病んでいる人がいたときに、いくら手をあわせて祈っても、思いはその人にすぐには伝わりません。手をあわせて祈るのは「静の祈り」同じことを心に抱きながら、行動するのが「動の祈り」だと思います。私は、この生きている瞬間瞬間が祈りだと思っています。だから、お茶をいれて、おいしく一緒に飲みましょうというのも祈り。私にとっては、生活すべてが祈りです。

 

「ひとりひとりの中に神が宿っている。ですから、どういう人と出会う場合もその人の中にいる神との出会い」と佐藤さんは仰っています。

 

 

うらら舘にもなぜか多くの悩みや傷付いた心を抱えた人が来られます。 私も、「一期一会」もう二度と会えない方にでも、その瞬間全霊を挙げてかかわっています。 

今日死のうと思っている人に、明日会っても間に合わない事もあるのです。

 

 そして、14世ダライ・ラマ法王 龍村監督が法王を第二番の出演者にと願った理由のひとつは「汝の敵こそ、汝の最も偉大なる師なり」という言葉だったそうです。何十年もの不自由な亡命生活を強いられながら徹底した「愛と非暴力」の方法で独立を訴えてこられたダライ・ラマ法王。

 

映画の中でも、「あなたが理不尽な目に遭い、悲しみ、憎しみ、激しい怒りを感じたまさにその時、耐える事、許す事を学ぶ絶好のチャンスなのです。その為には苦しみを与えてくれる人が必要になる。自分に苦しみを与えてくれた人にさえ、尊敬や感謝の念が生まれる」と仰っています。

 

  同じ頃私は、別の場所で「あなたを苦しめる人の中に神がいる」という言葉を聞きました。

 

 

 

 

 

 

 

リンパドレナージュ・ホットストーン・ゲルマニウム温浴・フェイシャル サロン うらら舘
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